FromNowOn’s diary

FromNowOnはオンラインプログラミングスクールです。

プログラミングの始まり

プログラミングを学ぶ前にまずは、プログラミングというものの歴史について少し触れて行きましょう。

 

BASICの生みの親の一人であるケメニー教授は、1926年にハンガリーブダペストユダヤ系の一族に産まれました。ナチスによる迫害を避けるため1940年にアメリカに移住し、その後にプリンストン大学に入学。大学在籍中には1年間の休学期間を設けてマンハッタン計画に参加し、その中で数学・物理学者のジョン・フォン・ノイマンに師事し、コンピューターのことを教わるなど大きな影響を受けました。その後、相対性理論で有名なアインシュタイン博士のアシスタントを数年にわたって務め、29歳の時にダートマス大学に数学部の責任者として迎え入れられるに至ります。

ダートマス大学でBASICの開発に携わることとなったのは、ケメニー教授が唱えていた「一般教養教育は重要であり、そこには数学的な要素が含まれているべきである。しかし、必ずしもその数学的知識が一般教養教育における結果に直結しているものとは限らない」という信念に基づいたものだ、とダートマス大学の現在の学部長であるダン・ロックモア氏は語ります。

当時のコンピューターを極端に表現すれば「厳重に隔離された部屋に置かれた専門家のみが触れられる装置で、一般人は近づくことすら難しい」というものでしたが、ケメニー教授は「必要な時に誰でもコンピューターに触れられることが必要である」とその重要性を唱え、コンピューターの普及に尽力しました。しかし、当時のコンピューターは非常に高価な上に、一度に1つの処理しか行うことができないものであったため、教授の理想はそう簡単には実現できるものではありませんでした。

その解決策を提案したのが、1956年からダートマス大学に加わったトーマス・カーツ教授でした。カーツ教授は、CPUの処理時間を分割して一度に複数の処理を並行して行うことができるタイムシェアリングシステムの概念を持ち込むことで、より多くのユーザーにコンピューター環境を提供することに成功します。このシステムは特にDTSS(ダートマス・タイムシェアリング・システム)と呼ばれ、世界初の大規模タイムシェアリングシステムとして現在でも知られていると記されています。

BASICとは「初心者向け汎用記号命令コード(Beginner's All-purpose Symbolic Instruction Code)」で、その頭文字をとってBASICいう名前になりました。